<< すすき | メイン | 台風一過 >>

ゆかた

 旅館では「ゆかた」はあたりまえですが・・・

 子供の頃、欧米人が着るバスローブに憧れた。映画やテレビで見る西洋式生活の象徴のように思えたのだ。で、憧れのバスローブを買ってみたものの、場所をとるばかりで、とんと着る機会がないのであった。今にして思えば、バスローブはバスタオルである。濡れたままのからだをバスローブで包んで、お湯を吸い取る。と、わかっていても日本人にはできないんだなあ。少なくともわたしは長年の日本的習慣、つまりお風呂から上がればタオルでからだを拭くという習慣を崩すことはできなかった。となればバスローブの出番はない。やっぱり日本の習慣のほうが快適だと、あっさりとあきらめてしまった思い出がある。
 ところが今になって、思いがけない事実を知った。日本人にも日本人のバスローブがあった、それが「ゆかた」である、というのだ。昔の日本人は肌を露骨に表すことが恥ずかしいというより、むしろ畏れるような気持ちがあって、それは非常に強いものであったらしい。だからお風呂から出て、そのままからだをさらして手拭いで拭くなどもってのほか。湯を上がるや否や「ゆかた」をひっかけた。その証拠に「ゆかた」のことを「湯取り」と呼んだ地方もあるという。西洋人がバスローブでお湯を吸い取るのとまったく同じ習慣を日本人ももっていたことになる。
 さらに古くさかのぼれば、肌をさらすことを畏れたわたしたちの祖先は、「ゆかた」を着たままで入浴していた。「ゆかた」を「浴衣」と書くのは「入浴のための衣」という意味だった。
 では「ゆかた」とは、どこからきた言葉なのだろう。
 そもそもは「ゆかたびら(湯帷子)」で、「かたびら(帷子)」とは「ひとえ(裏をつけない)のキモノ」という意味。「ゆかたびら」は入浴のときに着るひとえのキモノであって、本来は湯上りに着るキモノではなかったのだ。その「ゆかたびら」が、いつのまにか短く省略されて「ゆかた」となってしまっては意味不明。バスローブを「バスロ」と略したようなものである。
 室町時代以来の京の御所ことばに「ゆもじ(湯文字)」ということばがある。この「文字ことば」については「ひもじい」のところでふれた。おすしのことを「おすもじ」、杓子のことを「おしゃもじ」というように、「ゆかたびら」すなわち「ゆかた」のことは「ゆもじ」と呼ばれていた。この「ゆもじ」が、最初はキモノの形をしていたのだが、やがて簡略化され、湯に入るときに巻く「湯巻き」となった。
 実際、大正初期にはまだ城崎温泉あたりでも、湯巻きを着用する女性が見られたそうだ。壬申の乱(六七二)以来の歴史を持つ「八瀬のかま風呂」では、背に矢傷を負った大海人皇子も「ゆかたびら」で蒸し風呂に入ったことだろう。金閣、銀閣とともに京都三名閣とされる西本願寺飛雲閣にある重要文化財の蒸し風呂「黄鶴台」でも、入浴時には「ゆかたびら」を着ていたはずだ。
 そんなことを考えだすと、「ゆかた」で外を歩くのがためらわれてくる。「ゆかた」はそもそも入浴着だった。そしてそののちも、長らく日本人のバスローブだったのだから…。
                         京都語源案内より

 しかし、今では粋に楽しくゆかたを楽しんでいただきたいですね。年中ゆかた日よりの伊香保です。

[ 女将のブログ ]

投稿者 hibikino : 2007年09月03日 21:29